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中国紀行|常熟

 2007年5月

(阿部仲麻呂と鑑真-1/5)

 
百人一首の阿部仲麻呂  

「天の原 ふりさけみれば春日なる 三笠の山に 出でし月かも」

この歌で有名な阿部仲麻呂は、717年、第7回遣唐使船で中国に渡り、日本人としてただひとり、中国人でさえ難関の科挙試験に合格した、類い稀なる秀才だといわれている。

彼の才能は、ときの玄宗皇帝に認められ、皇帝側近の高級官僚に登りつめた。しかし、この高い身分がわざわいして帰国がかなわず、36年もの長きにわたり中国に滞在。

ようやく帰国の許可が下り、中国を去るにあたって詠んだのが、冒頭の歌である。

 

この歌は、古今和歌集、巻第九、羇旅(きりょ)歌のトップに掲載されており、次のような注釈が付されている(「新潮日本古典集成」新潮社、より引用)。

(前略)明州といふ所の海辺にて、かの国の人、むまの餞(はなむけ)しけり。夜になりて、月のいとおもしろく出でたりけるを見てよめる、となむ語り伝ふる。
(注) 明州: 現在の浙江省寧波市。かの国: 中国。むまの餞: 餞別の宴。

         

古今和歌集の注釈によって、阿倍仲麻呂がこの歌を詠んだのは、明州だと信じられてきたが、その後1000年以上の歳月を経てこの説は覆り、長江下流の常熟(チャンシュー)県黄泗浦(フアンスープー)だと特定された。

常熟県黄泗浦は、現在の常熟市に隣接する張家港市にある。私がこの街を訪ねようとした最大の理由は、753年に遣唐使帰国船団が中国を離れるにあたり、阿部仲麻呂が冒頭の歌を詠み、鑑真一行が揚州から長江を下ってこの船団に合流したという黄泗浦を見てみることにあった。

  東都苑
また、近くにある常熟市は、歴史文化名城に指定され、特異な街の景観と多くの古跡が保存されていることから、一度は訪ねてみたいと思っていたからでもある。
         
         
常熟市には、南京から長距離バスで夕方に到着。その日は、どこにも出かけずホテルで夕食を済ませ、翌朝小さな路線バスに一時間ほど揺られて、張家港市のバスターミナルに着いた。幸いなことに、ターミナル内に旅行会社の看板が見える。さっそくドアを開けて中に入った。黄泗浦に関する詳しい情報を得るためである。
         
東都苑の掲示板  

入口近くにいた女性に地図を広げ、黄泗浦はどこにあるかを問うと、長江から遥か離れた内陸部にある東渡苑景区という所を指差した。
「黄泗浦というところは、昔、鑑真和上が日本に向けて船出したところですよ」
「そうです。この東渡苑に鑑真の記念館があります」
「船出したわけですから、長江沿いでないとおかしくありませんか?」
「でも、黄泗浦はここにしかありません。社長に聞いてください」

そういって、奥にいる女性に顔を向けた。奥の机でパソコンをたたいていた女姓に、改めて同じ質問をすると、彼女も言葉につまり、入口から反対側に腰掛けていた男性に、
「長江沿いに黄泗浦はあるの?」と大きな声をかけた。

         

声のかかった男性のところに歩いてゆくと、待ちきれないように手を差し伸べ、地図を渡すように催促している。

彼は、さっそく手にした地図上の東渡苑景区を指差し、こう言った。

「かつてこの辺りまで長江の入り江が伸びていましたが、全て土砂で埋まり、入り江の北側と地続きになってしまったのです」

(続く)

  東都苑
                       
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