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(阿部仲麻呂と鑑真-2/5)

   

念のために、古地図を書き写しておいた紙切れを彼に差しだし、
「入り江の北側の長江沿いにある合興市は、今の地図には載っていないのですが・・・」と聞きなおすと、名前が変わったが、その場所は彼が今住んでいるところなのだという。
「せっかくここまでやって来たんですから、長江を見てみたいのですが、タクシーで行けますか?」
「ここから長江までは15キロもありますよ。私が車を手配しましょう」
「長江のほとりまで行って、またここまで戻ってくると幾らくらいですか?」
「お金は要りません」

といって、彼は名刺を差し出した。

     
     
 

てっきり旅行会社の車を手配してくれるもの思い込んでいたのだが、差し出された名刺の真ん中には、China Police、その下にはXX派出所所長と書かれている。

突然訳が分からなくなり、しばらく躊躇していると、たまたま彼は非番で奥さんの会社に来ているのだといって電話をかけ、もうすぐ車が来るからしばらく待つようにという。いくら何でも初対面である。ただ乗りはさすがに気が引ける。さんざんお金を受け取ってくれるよう頼んだが、がんとして受け付けない。

 

霧の長江

 
 

運転手も公安の職員だという。どうやらこの車は、所長の専用車なのかも知れない。

車は真っ直ぐ北に向けて走り出した。やがて、インダストリアルパークのようなところを右折して、東に進路を変える。北側はもう長江で、この先に見晴らしのいいところがあるらしい。まだ建築間もないホテルの裏側で車は止まった。堤防を登ると、葦が一面に生い茂っている。

                 

しかし、肝心の長江はすっかり霧に覆われて、何も見えない。天気は決して悪くないのだが、暑さでガスが発生したのだろう。せっかくのご好意だったが、阿部仲麻呂と鑑真を偲んでみたいと思った長江を、目にすることはできなかった。ちょうどお昼時にかっていたので、運転手の労をねぎらうべく食事を誘った。この日は土曜日だったこともあって、家族や友人と誘い合ってやって来た車が何台か停まっている。

   

味の方は頬っぺたが落ちるほどでもなかったが、田舎の食堂という感じで、こんな雰囲気も悪くない。勘定をしようとすると、運転手は、私が払いましょうという。ここでご馳走にまでなってしまっては、面子も何もあったものではない。

何とか押し切って、勘定を済ませ、黄泗浦のある東渡苑に向かった。結局、運転手はここで1時間以上の時間をつぶし、再び私をバスターミナルに送ってくれたのである。

海鮮料理の店内

       

さっそく旅行会社の女社長と公安のご主人にお礼を言おうと、急いで事務所に向かったが、半ドンで閉店したのか、門には鍵がかかっていた。すっかりお世話になり、恐縮の極みである。南京からは、かなり不便なところだが、そのうち、お礼に来なければと心に誓った。

       
 
  渡日船の模型  

揚州大明寺を訪ねた日本の僧侶が、まだ仏教の整備されていない当時の日本に、戒律を授けてくれるよう鑑真に請うたのが742年、鑑真55歳の時である。

鑑真はこれを受けて第一次渡航を計画するが密告で頓挫、第二次渡航は明州沖で遭難、そして第三次と第四次渡航は出帆前に挫折した。748年の第五次渡航では海南島に流され、陸路揚州に戻る途中で鑑真は失明する。

               

こうして、渡日を請われて12年目の753年、阿部仲麻呂らが乗る遣唐使船団に合流して、黄泗浦から6度目の渡航を試み、ようやく薩摩半島に上陸した。

しかし何とも皮肉なことに、36年ぶりの帰国を目前にした阿部仲麻呂の船はベトナムまで流され、その後長安に戻って復職した彼は、二度と日本に帰ることができなかったのである。

(続く)

               
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