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中国紀行|淮安・宿遷・沛県 |
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(秦末の英雄を訪ねて-1/6) |
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| 2007年5月 | |||||||||||
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江蘇省一帯はかつて楚と呼ばれ、秦末に活躍した項羽や劉邦、そして韓信ゆかりの地である。彼らの活躍ぶりは司馬遷の史記に生きいきと描かれ、2200年の時を経た今でも、その足跡を正確に辿ることができる。 楚王項羽は宿遷で生まれ、淮陰(今の淮安市)の人韓信は最後に淮陰候に封ぜられた。そして、戦乱を制した漢の高祖劉邦の故里もまた、江蘇省最北の地、沛県にある。 これらの英雄を訪ねる今回の旅は、最初から躓(つまず)いた。まず淮安(フアイアン)市を訪ねるべく南京最大の中央門バスターミナルに向かったが、淮安行きは北駅から発車するのでここでは扱っていないという。やむなく、中央門ターミナルの雑踏を抜け出てタクシーをひろった。 |
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「北駅まで」 東駅に着いて淮安行きの切符を頼んだら、やっぱり北駅だという。こうして、南京市の東の端から引き返し、中央門のターミナルを通り過ぎて長江を渡り、北駅でようやく淮安行きの切符を手に入れた。バスに乗るのにあまり慣れていないせいもあるが、行き当たりばったりの何時もの悪い癖が裏目に出て、結局1時間以上の空振りをしてしまった。 |
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淮安は、背水の陣、国士無双など数々の故事を残した韓信ゆかりの地、そして近代中国の名総理周恩来の生地でもある。 隋の煬帝(ようだい)が南北の運河を開削して以来、南船北馬交接の地として発展し、杭州、蘇州、揚州と並んで、運河沿線の四大都市として栄えた。 現在の淮安市は、行政区の総人口5百万、市街区は250万ほどの人が住む大都市で、第2期の国家歴史文化名城に選定されている。 |
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2001年に新淮安市が成立したときに、県級の旧淮安市は楚州(チューツョウ)区と改名されたが、韓信ゆかりの古跡や周恩来の故里などは、全てこの古い街並みを持つ区内にある。 市政府のある清河(チンホー)区のホテルにチェックインしたあと、さっそく楚州区に向かうと、街の入口には「武官下馬、文官下轎。漢淮陰候韓信故里」(注)という文字が彫られた古めかしい碑が立っていて、何となく韓信ゆかりの地にやって来たという気分にさせられる。 |
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| (注)武官下馬、文官下轎: 武官は馬から下り、文官は駕籠(かご)から降りよ。皇帝の陵墓の入口には、通常、このような注意書きが記されている。韓信は皇帝ではないが、これをもじったものだろう。 漢淮陰候韓信故里: 韓信は、項羽攻略の最大の功労者だったにもかかわらず、劉邦に謀反の疑いをかけられて淮陰候に格下げになった。このとき韓信は、「狡兎死して、良狗煮られる(すばしこい兎が捕らえられ死んでしまうと、用のなくなった良犬は煮て食べられてしまう)」という名言を残している。 |
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剣を下げた大男の韓信が、臆病なやつだと馬鹿にされながら、ちんぴらの股をくぐる話しは、余りにも有名だ。楚州区で最初に見てみたかったのが、この股くぐりの故事にちなんで名のついた股下街である。 (続く) |
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