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(秦末の英雄を訪ねて-3/6) |
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さあ、次は漂母祠だ。 老人は知っているからといって、もと来た市街区のほうにひたすら車を走らせる。 |
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たまたま信号で止まった街角に警察官が立っていたので、地図を見せながら漂母祠はどこにあるのか聞いてみた。警察官はしばらく不思議そうに地図をみていたが、さっきいた韓信の釣台の中にあるはずだという。 結局、また韓侯釣台に引き返し階段を下りてゆくと、釣台の石碑の左手前でちょっと死角になりそうな場所に、漂母祠という表示を見つけた。 |
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祠の正面に漂母の大きな像がある。おばあさんというよりは、中年のちょっと怖い顔をした女性像であった。こんなにまでして見るほどのものではなかったかも知れないが、一度は見てみないと気がすまないのは、何も私だけではないだろう。 2007年版の淮安市地図の表示は完全に間違っているのだが、今回二度目のしくじりは、この地図を盲信していた私自身の注意不足にも遠因がある。最初に決めた値段に少し上積みして代金を支払ったが、年老いた運転手には、少々悪いことをしてしまった。 それにしても、史記にある韓信のこんな故事まで観光地にしてしまうところが、何とも中国らしい。 |
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| 同じ楚州区には、周恩来の故居と記念館があり、今や当地最大の観光スポットになっている。 | ||||||||||
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ついでにというわけでもなかったが、立ち寄った彼の故里はなかなか立派な封建時代の旧家で、庭に植えられていた岡崎喜平太氏(戦後再開された日中覚書貿易の日本側代表)と田中元首相寄贈の桜が印象的だった。 癌に苦しみながら、死ぬまで職務を全うし、革命運動と共産党に生涯を捧げた周恩来は、その一方で、ピンポン外交によるニクソン訪中や田中元首相との日中国交正常化実現の立役者として広く世界に知られている。 |
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生来の我慢強さで何度も党内闘争をくぐりぬけ、「起き上がり小法師」と揶揄されているが、並みはずれた知性と誠実さで多くの人びとから慕われてきた人である。 |
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| 遺体は灰にして全部(空から)撒いてほしいという遺言で、彼の墓はない。墓がないからというわけではないが、周恩来記念館が楚州区の美しい杜の中にある。 | ||||||||||
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35万平方メートルという広大な敷地は、その大半が湖でおおわれているが、湖面に浮かぶ白亜の記念館、そして館内にある周恩来の巨大な坐像は、何となくワシントンD.Cのリンカーン記念館のイメージとダブってくる。 優柔不断、八方美人、終生毛沢東に服従した痛々しい生活、そんな中で党内闘争の融和に腐心し、文化大革命で鎖国状態にあった中国の外交を開花させた。 |
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広びろとした芝生を踏みしめながら、こんな周恩来の数奇な生涯に思いを巡らせていると、胸が熱くなった。 (続く) |
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