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(隋の煬帝と揚州の柳-2/3) |
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私が揚州に来たかった理由はもうひとつある。 聖徳太子が二度目の遣隋使を派遣したとき、 |
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清の康煕帝の時代に書かれた隋唐演義という書物がある。 注)「」の部分は、徳間書店「隋唐演義」田中芳樹編訳からそのまま引用した。以下に出てくる「」の部分も同様である。 |
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それからしばらくして臣下より、 こうして610年に南北の大運河が開通し、煬帝は洛陽から揚州まで、前代未聞の行幸を敢行する。 |
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煬帝と皇后、それにあまたの寵妃たちが、竜船と呼ばれる大船に乗り込み、数百隻の小竜船がその前後を挟んで進む。そのほかに、宦官、雑役、飲食係りの雑船数千隻が運河に浮かび、文武百官が兵馬を率いて両岸を前進する。 |
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行幸の途中で風が凪いでしまうと竜船の帆は降ろされ、あらかじめこのような時のために準備されていた羊と、殿脚女と呼ばれる若い女たちが船から下りて、運河の両岸から綱で竜船を牽き始める。 季節はすでに春も終るころで、殿脚女たちは暑さで汗にまみれ、綱を牽く足取りも重くなってゆく。煬帝はこれを見るに忍びず、臣下に妙案はないかと下問した。 |
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やがて、両岸に柳を植えれば木陰で殿脚女を陽ざしから守ることができるし、柳の根が張れば堤の基礎も固まる、と奏上する学士がいた。 |
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隋唐演義は、煬帝の揚州への行幸をこのように描いている。 (続く) |
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