2001年5月
しかしそれにしても、こんな破天荒な話しを残した煬帝の陵墓とは一体どんなものなのか、見てみたかった。
揚州で滞在していたホテルのフロントに、煬帝の墓はどこにあるかを尋ねた。係りの女性は知らないらしく、周りの人にも聞いている。そのうちに市内の地図を広げ、痩西湖の遥か上の方を指差してここではないかと教えてくれる。
しかしそこには漢広陵王墓と書かれており、どうみても煬帝とは関係なさそうだ。
そういえば、煬帝は中国の歴史のなかで評価が低いという話しを何かの本で読んだことを思い出しながら、アシスタント・マネージャーのところに行って同じお願いをしてみた。
彼女も残念ながら墓の存在を知らなかったが、とても親切に市政府に電話をしてくれて、ようやくその場所が分かった。ホテルからは車で3-40分かかる所で、厳密には揚州市ではなく、隣りの村にあるという。
ホテルの車をアレンジしてもらい、墓のある村に向かう。この日は痩西湖に遊んだ翌日で、生憎の雨だった。車の止まったところには、道路に面して大きな石門が立っており、隋煬帝陵と刻まれている。造作は中途半端に新しくて周囲の村の雰囲気にそぐわないし、私の抱いていたイメージからも程遠いものだった。
門の入り口で10元(約150円)の入場料を払い、ちょっと意外な気持ちで中に入る。
すぐに大きな空間が左右に広がり、ずっと先の方に、方錐形をした土盛りの陵らしきものがぽつんと見えている。
途中に石の橋や植え込みが疎らに広がっているが、比較的最近造られたもののようだ。傘を差して、ゆっくりと前に進む。
方錐形の陵は、各辺が十数メートルほどだろうか?あの破天荒な煬帝のイメージは微塵も感じられないが、慎ましく葬られたという故事からすればこんなものなのかも知れない。

煬帝が最後の行幸で揚州にやって来たころは、すでに北方で唐公李淵が挙兵しており、権勢を失った煬帝は、程無く配下の近衛兵に殺害される。
享年50歳。
皇后が宮殿の漆塗りの板を剥がして煬帝の棺を作り、特に寵愛したふたりの宮女の遺体も一緒におさめて、慎ましく葬礼をしたと演義に記されている。
目のあたりにした煬帝の陵墓は、千数百年の時の流れや、破天荒な彼のイメージを伝えてはくれなかった。
それでも、こうして隋煬帝陵として運営されているのだから、少なくとも陵墓そのものはこの場所にあったのだろうか?
そぼ降る雨が、そんな訝りを包み隠すかのように降り続いていた。
「南京好日」より抜粋。
このページは、中国旅行専門サイト|南京ツアー・コンサルティングが制作し、提供しています。
Copyright(C)2005-2011. All rights reserved by Nanjing Tour Consulting Co., Ltd.