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中国紀行|武陵源・洞庭湖・岳陽楼

(世界遺産武陵源と憧れの洞庭湖-1/5)

2002年10月

松尾芭蕉の奥の細道は、どこを読んでも心を打たれるが、
「そもそもことふりにたれど松島は、扶桑第一の好風にして、凡そ洞庭西湖を恥じず」という松島の段の書き出しも、思わず声に出して読みたくなるような名文だ。

ここに喩えられた洞庭湖も西湖も、中国の湖である。
西湖は日本からの観光スポットとして最近脚光を浴びているが、洞庭湖も芭蕉の生きた時代には、観光客で賑わっていたのだろうか? 

こんな言い方をしたのも、現在の中国でこの湖を見に旅行しようという人は先ずいないからだ。しかし私は、学生のころ目にした洞庭というふた文字がずっと頭の片隅に残っていて、そのうちぜひこの湖を見てみたいと思っていた。

       

洞庭湖は湖南省の北端に位置し、湖北省との省境に近い。北緯29度前後なので、日本で言うと奄美大島の少し北あたりになる。この湖へのアクセスは、省都の長沙か、あるいは湖北省の武漢をベースとするのが近そうだ。しかし、もうひとつの目的地である世界自然遺産の武陵源に行くには、長沙からの飛行便が圧倒的に多い。

さらに長沙からは、洞庭湖に面した岳陽の町へバスが頻発しており、所要2時間とガイドブックに書かれている。結局長沙をベースとして、ここから武陵源岳陽楼で有名な岳陽、そして洞庭湖に足を伸ばすことにした。

     
       
湖南省長沙の歴史は古く、紀元前の時代から楚の都として栄えてきた町である。
       
長沙のけばけばしいバス  

宋代に広まった朱子学の祖朱熹がこの街で教えたことでも知られ、明や清の時代には「湖湘学派」から多くの文人を輩出している。清の時代も末期になると、革命揺籃の地として反清闘争が展開された。

このような歴史背景もあってか、毛沢東や劉少奇などの著名な革命家もこの地で生まれ育っている。

                   

長沙は市街地の人口が181万人ほどの中都市で、街の東端に長沙駅がある。

この駅から真っ直ぐ西に向かって五一路というメインストリートが伸び、街を南北に分けている。この五一路をどんどん進んでゆくと、街の西を流れる湘江にぶつかる。この川を渡ると岳麓山の緑が広がり、その麓には朱熹が教鞭をとったという岳麓書院がある。

  長沙駅前
                   
 

岳麓山のリフトに乗ってゆらゆらと山頂に登ってゆくと、川幅が1キロほどもある湘江越しに、長沙の街が一望できる。

10月初旬の国慶節(中華人民共和国の建国記念日)でしかも晴天なのに、一望できるはずの長沙の街はすっかり霞んでいた。
排ガスや産業廃棄物などの公害がその原因だとしたら、悲しいことである。

岳麓山を降りてタクシーに乗り、再び湘江を渡って市街地に戻った。地図で見た大きな烈士公園と博物館に立ち寄るためだ。

湖南省博物館は公園の傍らにあって、馬王堆漢墓から完全な状態で出土したという有名な女性のミイラを見ることができる。

                   

地下室の棺に安置されたミイラは、密封されたガラス越しに階上から見下ろせるようになっていて、深閑とした部屋の異様な雰囲気に、前漢の時代から2000年以上の時の流れが伝わってくるような気がした。

(続く)

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