2002年10月
しかしこの楼閣には、中国人にとって杜甫のこの詩よりもっと有名な名文が伝わっており、それがこの岳陽楼の名を普く天下に知らしめたと言われている。
杜甫が世を去って200年以上時が流れた宋の時代に、地方官僚でかつ卓越した文人でもあった范仲淹が著した岳陽楼記と呼ばれる360文字の散文がそれで、修復された岳陽楼と洞庭湖を美しく歌い上げると共に、世の処し方や人の接し方に係わる格言警句に満ち、爾来1,000年にわたり人々に深い感銘を与えてきた。
特に結びの部分、「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」の二句は強く人の心を打ち、今に語り継がれる名句とされている。
天下の憂いに先立って憂え、天下の楽しみのあとに楽しむといったような意味で、じつに高邁な人の道の在り方を説いており、日本でも格言として使われている「先憂後楽」のルーツとなった言葉である。
隋の時代から始まる科挙制度に立脚した強大な中国の官僚政治が、この范仲淹の訴えにきちんと耳を傾けていたならば、水滸伝や金瓶梅などで描き出された汚職腐敗は起こり得なかったのではないだろうか?
とかく政治というものは、古今東西を問わず、理想と現実が必ずしも一致しない世界なのかも知れない。
昼食のあと、1時間ほど車を走らせて君山という島まで足を伸ばし、洞庭湖の湖畔に立った。
一面に葦のような草が密生し、遥か先には無限に広がる湖面が霞んでいる。残念ながら湖水に直接手を触れるところまで行けなかったが、返ってその方がよかったのかも知れない。
憧れの洞庭湖を目のあたりにして、複雑な気持ちになった。
芭蕉がこの湖を喩えに挙げたのは、杜甫や范仲淹など多くの先人が残した名文を、伝え聞いてのことだったのだろう。しかしそれにしても、そのころの水の色は、まさかこんなに濁ってはいなかったに違いない。
こうして洞庭湖をあとにしたが、帰路では交通量が増えて渋滞するところもあり、ようやく長沙のホテルに戻ったのは、すでに7時を回っていた。往復7時間にも及ぶドライブで、さすがに疲れた1日だった。
ガイドブックでは、バスでさえ4時間で往復できたはずなのにと些か納得がゆかなかったが、これくらいの誤差は、悠久の中国ではご愛嬌というところなのかも知れない。
「南京好日」より抜粋。
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