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長江大橋・閲江楼
 

長江(チャンジャン)は青藏高原に源を発し、東シナ海に流れ込む総延長6,300キロにも及ぶ中国最長の大河です。しかも水の流れが速く川幅も広いので、自然の要塞として利用され、古くから多くの都市が流域に立地してきました。

中華人民共和国の建国後、この大河に橋が架かったのは武漢が最初でしたが、建国当時の中国には、近代橋梁工事の技術がなく、友好国ソ連の技術指導を受けました。

南京は武漢より600キロほど下流に位置し、川幅はより広く、水深もより深くなっているため、さらに高度な建設技術を必要としましたが、当時の中ソ関係はすでに悪化しており、中国独自の設計で建設せざるを得ませんでした。

このため、完成までには9年もの歳月を要し、1968年にようやく全面開通しました。自動車、鉄道の両用2階建てで、自国技術で建設された中国で最初、かつ最大の大橋です。

自動車用は、全長4.6キロ(川に架かる部分は1.6キロ)、鉄道用は全長6.8キロにも及びます。現在は、一日に車両3万台、汽車200便が通行する交通の要衝となっています。

地上の橋脚基礎部分から橋の一番高い地点までは70メートルもあり、橋上から下を見ると、思わず足がすくんでしまいます。


(長江大橋車両道)
 
(徐々にせりあがる陸橋部分)
 

(橋上から南京市街を望む)

   

川の両岸に接する
橋脚の頂きには、
橋道を挟んで2対、
計4座の革命戦士
の石像が建って
おり、この橋に独特
の雰囲気を添えて
います。

石像を頂く橋脚に
は「我われの国家
は工員階級の指導
者による工農連盟
を基礎とした人民
民主専政国家で
ある。  毛沢東」

(革命戦士像)

(革命戦士像を頂く橋脚)

 
                       

と大書されていますが、開放政策が進んだ今の中国には、もはや そぐわない標語となってしまいました。

                       
                       

南京の西側を北上する長江はやがて右に大きくカーブして、ちょうど南京の町を包み込むように、進路を東に変えてゆきます。この長江が、ちょうど右にカーブする起点となる辺りに、獅子山と呼ばれる80メートルほどの小高い丘があります。

                       

自然の要塞である
長江を一望できる
ことから、古来この
山は軍事上の戦略
要地として知られ
てきました。
とくに、朱元璋が
8万の伏兵を指揮
し、宿敵陳友諒40
万の大軍を破って
明帝国の建国を
決定的にしたのが
この獅子山の戦い
であったといわれ
ています。

(獅子山に建つ閲江楼)
(楼閣から南京市街を望む)
   

朱元璋はその後、獅子山の頂きに閲江楼(ユエジャンロウ)という楼閣を建設することを決め、自らも「閲江楼記」という一文を作って、「碧色の瓦に朱塗りの柱」と詠い山上に立つ楼閣をイメージしました。
しかし基礎工事が終わったころ「又閲江楼記」を著し、部下は誰一人として築楼に反対しなかったが、やはり国造りの基礎となる城市の整備や民心の安定が先決だとし、楼閣の建設を突然中止してしまいました。その後、三代目の永楽帝が北京に遷都したこともあり、この楼閣は一度も日の目を見ることがなかったのです。

 

楼内には、明朝歴代皇帝の肖像画が掲げられていますが、太祖朱元璋の肖像画は一般に知られる恰幅のいい肖像と異なります。顎のしゃくれた異様なその容貌に驚かされてしまうのは、私だけではないでしょう。

(閲江楼の天井)
(閲江楼内の朱塗りの柱と喫茶机)
   

現在、獅子山に聳える7層51メートルの閲江楼は、4,000万元の巨費を投じて2001年に完成したもので、長江沿いにある有名な3大楼閣(湖北省武漢の黄鶴楼、湖南省洞庭湖の岳陽楼、江西省南昌の滕王閣)を意識し、4大楼閣の一つとして新たに売り出しているようです。

     
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