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夫子廟・秦淮河    
 
「夫子」はもともと儒学者に対する尊称で、孔夫子とか朱夫子などと呼ばれていたこともあり、「夫子廟(フーツミャオ)」というと、一般に孔子廟のことを意味します。

南京では、孔子廟のほかに、市内を流れる秦淮河を中心に古くから栄えた繁華街と、大規模な科挙の試験場の跡地を総称して、夫子廟と呼んでいるようです。

秦淮河(チンフアイホー)は、遠く六朝時代から商業の中心地で、貴族や文人も多く集まり、「六朝金粉」と讃えられてきました。当時の南京は六朝の歴代王朝の首都であり、学問、文化、芸術の中心地として、大いに栄えました。

清末には、科挙の試験場と共に遊郭も林立する一大繁華街となり、明かりを灯した船に乗った遊女が、夜の秦淮河に溢れたといわれています。

その後の戦乱で、秦淮河畔の建物は多数破壊され、河川の汚染も進んで、昔日の栄華は見る影も無くなってしまいましたが、1985年以降の改修工事で、往時の繁栄を取り戻しつつあります。

(孔子廟前の広場)
(秦淮河沿いの楼閣にある縁台)

孔子廟は秦淮河の北側に面し、孔子を祭るために宋の時代(1034年)に創設されました。
その後、幾度となく戦火に見舞われ、損傷と修復とが繰り返されましたが、現在の建物は、清の同治年代に建設された原図を元にして、1986年に再建されたものです。

         

孔子廟の主殿である大成殿には、高さ6.5メートル幅3.5メートルの、国内最大と
いわれる孔子画像が掲げられています。また、殿内の周囲の壁には、全国から取り寄せた貴重な宝玉を使い、38面の孔子聖跡図が展示されています。

大成殿の裏側は、昔の学舎で、各県単位で行われる試験で合格した、秀才と呼ばれる学生がここで学び、さらに上級の省レベルでの科挙試験に臨みました。
一番奥には、明徳堂と呼ばれる正堂があり、かつては試験の結果を掲示する
場所であったといわれています。

(孔子廟大成殿)
(孔子聖跡図)
         

江南貢院(ジャンナンコンユエン)は、南宋の時代(1169年)に、県と府の科挙試験場として創建されましたが、明の太祖朱元璋が首都を南京に定めたあと、この地は国レベルでの科挙試験場としてさらに重要になりました。

そして3代目の永楽帝が北京に遷都したあとも拡張整備が続けられ、清の時代に入っても、北京に次ぐ試験場として重要な役割を果たしました。科挙の試験で受験者は何日もの間、小さな部屋にこもって試験を受けねばなりませんでしたが、号舎と呼ばれるこの個室は、最盛期には実に20,644室にのぼったといわれています。

                   
(江南貢院跡)

清末に科挙制度が廃止され、江南貢院も取り壊されましたが、科挙試験の試験官の詰め所となっていた明遠楼が、現在も保存されています。

(明遠楼)
       

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