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明孝陵・石像路
 

明の太祖朱元璋(1328-1398年)の陵墓、明孝陵(ミンシャオリン)は、世界文化遺産に登録されています。

当初、この陵は孝陵と呼ばれ、「以孝治天下(孝をもって天下を治める)」から由来したとも、皇后馬氏の送り名
「孝慈」から由来したともいわれていますが、清代以降、明孝陵という呼び名が定着しました。

(明孝陵文武方門)

明孝陵は、朱元璋53才のときに建設が開始されましたが、永楽帝の時代にすべてが完成するまで、実に32年もの歳月が費やされました。朱元璋の崩御した1398年には、彼に仕えた宮人10余人、女官46人が共に葬られたといわれています。

       

この陵の参道は総延長1.8キロほどありますが、三つのアーチ型の門を持つ大金門がその起点です。大金門をくぐってすぐ先には、大きな亀の像の上に石碑が設置された碑亭があります。

石碑は高さ9メートルにも及ぶ巨大なものですが、
建物の上部は破損してなくなり、四周を取り囲む壁だけが残されているため、のちに「四方城」と呼ばれるようになりました。

この石碑の碑文は、三代目の成祖永楽帝が朱元璋の死後15年経ってから書き記したもので、朱元璋の貧しい農民としての生い立ちから、皇帝になったあとの業績に至るまで、2,746文字でその生涯が綴られています。

(四方城)
       
       
四方城から西に向かうと、左右に6種12対の石像が配列された、有名な石像路(シーシャンルー)が東西に連なっています。手前から、獅子、想像の動物カイチ、ラクダ、象、麒麟、馬の順に立ち並び、広大な版図を持って栄えた往時の中国を偲ぶことができます。
       
(石像路−ラクダ座像)
(石像路−ラクダ立像)
(石像路−象立像)
(石像路−カイチ立像)
       
       

石像路を通り過ぎて、参道が大きく北に方向を変えた所に、1対の墓標が立っています。墓標の先は、「翁仲路」と呼ばれる小道が梅花山を回り込むように連なり、4対の武将と文官の石像に守られて、明孝陵へと続いています。

       

石像路の北側に位置する梅花山には、三国志時代の呉の孫権の墓があったため(但し、現在は消失しています)、このように大きく西に迂回して参道が作られたとも伝えられています。

参道を通り過ぎると、三つのアーチ型の門を持つ朱塗りの明孝陵文武方門が見えてきます(冒頭の写真を参照ください)。この門から先が陵の本体をなす部分です。


朱元璋の死後、二代目皇帝の恵帝は「孝陵衛」を設け、実に5,600名もの用兵が明孝陵保護のための任務についていたと伝えられています。

清の時代に入っても、康煕、乾隆の二帝が明孝陵を拝陵し、手厚い保護策が講じられましたが、清末に起こった太平天国の乱で、陵内の西配殿や東配殿そして亨殿などは、すべて崩壊してしまいました。

陵の一番奥には朱元璋の墓を守るための「宝城」と呼ばれる高さ16メートルの城壁があります。
城壁内の小さなトンネルに設けられた54段の階段を上り詰めると、城壁の上に皇家専用の朱塗りの建築物が残っていますが、屋根の部分は消失し、往時の面影をうかがい知ることはできません。

宝城の後方には、樹木ですっかり覆われた周囲約1,100メートルの、円形墓を目にすることができます。

(翁仲路)
(宝城)
(宝城の中のトンネル階段)
 
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