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南唐二陵
                   
五代十国の群雄割拠の時代(907-979年)に、もっとも強大であった南唐王朝二代の王の墓、南唐二陵(ナンタンアルリン)は、1950年にその存在が確認された貴重な地中墓です。盗掘された墓内は、かなり荒れていますが、現在も参観が可能です。
                 
   
(南唐先主欽陵の墓室)

(南唐中主順陵の入り口)

 

南京を首都として栄えた南唐は975年、宋に滅ぼされますが、最後の王(三代目後主)李U(りいく)は拉致されて宋の首都開封に幽閉されたとき、往時を偲んで多くの感傷的な詩を残しました。そして彼は皮肉なことに、「宋詞」の代表的な詩人として、今日までその名を残すことになったのです。

   
  陽山碑材
   
 
(陽山碑材の入り口)
(陽山碑材)
               

明の太祖朱元璋の墓(明孝陵:2003年世界遺産に登録)に碑石を設置するため、永楽3年に石の切り出しが行われました。しかし、切り出しは完了したものの、大きすぎて運び出すことができず、途中で放棄された巨大な石材が、南京市郊外の湯山鎮に、陽山碑材(ヤンシャンベイツァイ)として、そのままの状態で保存されています。

 
               
  鄭和の墓と静海寺            
               
 

明初の永楽帝に仕えた鄭和(1371-1434年)は、西欧の大航海時代に先立って遠洋航海を成し遂げたことで有名ですが、彼の墓は、南京市郊外の牛首山の麓にあります。

イスラム教徒として生まれたこともあり、1985年に修復された彼の墓は、イスラム様式で建てられています。また市内の鄭和公園には、鄭和像と鄭和記念館も設置されています。

 

「静海」には、鄭和の航海安全のために海を静める、あるいは明帝国が四周の海を静めるという意味が込められているといわれています。

 
(鄭和の墓)
             
           

鄭和の第2回目の航海で、セイロンから釈迦の彿歯を持ち帰ったとき、永楽帝は静海寺(ジンハイスー)の建立を命じ1416年に完成しました。この寺は、 清末のアヘン戦争で、南京条約が締結されたことでも知られています。

その後、太平天国の乱や日中戦争で破壊され、1988年に再建された現在の寺は原設計の復元ではなく、往時の面影をうかがい知ることはできません。

(静海寺内の大航海壁画)
     
    ボルネオ王の墓
     
   
 
(左:ボルネオ王の陵墓に立つ武官、上:陵墓参道)
 
               
鄭和の大航海で、明帝国は、南シナ海からインド洋に至るアジア地域との朝貢貿易を拡大させました。

ボルネオ国(現在のブルネイ)の使節が何時ごろから中国に貢物を献上するようになったのか分かりませんが、1408年には、国王夫妻の一行150余人が親善使節として南京を訪れ歓迎を受けました。

しかし帰国を前にして王は急病で倒れ、帰らぬ人となったのです。王の遺言により、亡骸は南京に葬られています。参道には、明初の功臣と同じ格式の石像が立ち並び(馬、馬夫、羊、虎、臣下の各一対)、僅か28歳で生涯を閉じた若き国王に、思いを馳せることができます。

 
                 
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