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中山陵・霊谷寺
     

南京市の北側に位置する紫金山の山麓には、近代中国建国の父孫文が埋葬されている中山陵(ツョンシャンリン)があります。

孫文(1866-1925年)は、辛亥革命後、1912年に中華民国の臨時大総統に就任しました。その後も彼は、新しい中国の
国造りに邁進しましたが、1925年、「革命未だ成功せず」の言葉を残して、北京で波乱の生涯を閉じたのです。

 
(中山陵前の広場)
孫文は、臨時大総統として執務した南京が気に入り、臨時政府発祥のこの地に埋葬するよう遺言を残したため、死後一周年目に陵墓が南京に定礎され、1929年に完成しました。

同年6月、彼の亡骸は北京から南京に移送され、紫金山の麓に埋葬されました。

孫文の亡骸を受け入れるため、民国政府は、長江の第一埠頭から紫金山に至る、総延長12キロの「迎柩大道」を新設し、街道の両側にはプラタナスが植えられました。
この街道は、現在の中山北路、中山路、中山東路から中山門に至る、南京市の幹線道路となっています。

中山陵の入り口にある門には、孫文が生前愛用した「博愛」の2文字が掲げられ、この門から亡骸が安置されている墓室まで、総延長700メートル、高低差70メートルの参道が連なっています。

また参道の後半は、上下8つの石段で構成されており、それぞれの石段の間には、小さな広場が配置されています。

(中山路)
(中山陵入り口の博愛門)
                   

上段部の3つの石段は「三民主義」を、下段部の5つの石段は5権(立法、司法、監察、行政、考試)を表現し、孫文が死ぬ前に残した「革命未だ成功せず、同士なお努力すべし」という言葉を、後世の人びとが忘れることのないようにとの意図が込められています。

総数392段の階段を上り終えると、大きな祭堂に辿り着きます。
堂内の中央には、イタリア大理石を使いパリで製作された、高さ4.6メートルの孫文の座像があり、その奥の一段高くなった所に、墓室が配置されています。

                   

墓室には、孫文の実物大の石像が静かに横たわっていて、手摺りから見下ろせるようになっています。

この石像は、孫文が亡くなった直後の遺体を模って製作されたものですが、その意外な設定に墓室内は深閑として、観客は思わず息を呑み、石像に目を凝らします。
亡骸は、静かに横たわるこの石像の地下に安置されているのだそうです。

(長い石段から祭堂を望む)
 
     
  霊谷寺(リングースー)は、六朝の梁の時代(514年)に創建された善精舎がその起源だといわれています。
     

明初には蒋山寺
と呼ばれました
が、太祖朱元璋
がこの地を自ら
の陵墓と定めた
ため、蒋山寺は
現在の場所に
移され霊谷寺と
改名されました。

その後大いに栄
え、康煕乾隆の
二帝が南巡した
ときには、必ず
参拝したと伝え
られています。

 
(霊谷寺境内の古木)
(霊谷寺内のくぐり門)
   

しかし、清末の咸豊・同治年間に戦火に見舞われ、ほとんどが消失してしまいました。

革命後の混乱のなか、蒋介石率いる国民党が、霊谷寺の廃墟を第一次国内革命戦争で戦死した国民党兵士の公墓と定め、霊谷寺や霊谷塔などの建設も含め、1935年に全ての工事が完成しました。 共産党政権になって公墓は公園に模様替えされ、今日に至っています。

広大な公園内は、樹齢を経た古木が立ち並び、かつての戦乱の面影を、もはや見出すことはできません。境内で一際目を引く霊谷塔は、南京でもっとも高い61メートルの塔ですが、霊谷寺の名声もあってか、有名な観光地となっています。

 
 
(霊谷塔)
     
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