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総統府
   

長江路の見事なプラタナスのアーチを通り過ぎると、総統府(ゾントンフー)があります。

この地は、明初永楽帝の次男漢王朱高煦(しゅこうく)の住居で煦園と呼ばれていましたが、清代に中国東南地区(現在の江蘇省、江西省、安徽省、上海)を総括する両江総督府が、ここに設置されました。康熙帝は南巡でたびたび南京を訪れていますが、ほとんどこの両江総督府に逗留したといわれています。

(長江路)
                   

また、乾隆帝の6度目の南京訪問時には、乾隆行宮の建設が命じられ、その庭園の一部分が、現在の総統府跡地の煦園と呼ばれるところにあったということです。

清末には、洪秀全が男女平等、滅満興漢などを唱えて太平天国の乱(1851-1864年)を起こし、南京を首都と定めて、両江総督府跡を天朝宮と命名しました。
しかし、理想を求めて10年ほど続いたこの幻の政権は、内部の統率がとれず崩壊、天朝宮は放火や略奪で、その大半が消失しました。

その後、辛亥革命が起こり、孫文が中華民国臨時大総統に選出されて、明初漢王ゆかりの煦園のそばに執務室を設けました。

 
 
(総統府内の通路)
                     

1928年、蒋介石は民国政府の主席となり、この地を政府所在地と定めました。1948年には総統に就任し、総統府という三文字を正門に掲げましたが、皮肉にもその翌年には、共産軍との内戦に破れ、台湾に亡命することになります。

                     
(月洞門)
(総統府内の庭園)
             
中華人民共和国の成立後、この地は江蘇省政府の執務場所となりましたが、その後移転され、現在は歴史を保存するために、総統府跡として整備されています。
                     
                     
 

総統府の正門は、西欧の古典的な凱旋門を参考に造られたといわれ、3つのアーチには、フランスから直輸入した鉄門が据え付けられました。現存する門は、2003年にもとの設計図に従って修復されたものです。

正門をくぐって中庭を通り抜けると大堂があり、天井の梁には赤地に黒く「天下為公(天下を公となす)」の4文字が掲げられた額を目にすることができます。

(総統府跡正門)

これは、孫文の手になるもので、「礼記」にある「大道之行也、天下為公」を出自としています。また、総統府跡の煦園のそばには、孫文が執務室として使用した、南欧風の薄黄色の瀟洒な洋館が保存されています。

     
(天下為公)
(孫文臨時大総統執務室)
                   

このように、総統府跡は、幾多の戦乱をくぐり抜けて今日に残る旧跡です。その歴史的経緯から、明初の皇族の庭園、清の地方行政府そして近くは、孫文や国民党が係わった中華民国の総統府という、南京ならではの数奇な運命を推し偲ぶことができます。

                     
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