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中国の世界遺産・明顕陵 |
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明の皇帝陵のうち南京の明孝陵と、北京にある明十三陵は2003年に世界文化遺産に登録されました。276年続いた明王朝には、16人の皇帝がいますが、初代皇帝朱元璋(南京の明孝陵)以外に、明の十三陵に埋葬されていない皇帝が2人います。 ひとりは2代目建文帝で、永楽帝のクーデターで行方不明となったため、陵墓がありません。もうひとりは7代景泰帝で、北京西郊の王族墓地に埋葬されています。 |
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(明顕陵前のネスコ世界遺産碑
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それでは、明孝陵や明の十三陵よりひと足早く、2000年に世界文化遺産に登録された明の顕陵(シエンリン)とは、一体誰の陵墓なのでしょうか? |
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| (明顕陵新大門) | ||||||||||||||||
| (鐘祥市の世界文化遺産標識) | ||||||||||||||||
早世した11代正徳帝に嫡子がなかったため、正徳帝にもっとも血縁の近い嘉靖帝(正徳帝の従弟)が帝位を継ぎました。この嘉靖帝の実父が、顕陵に埋葬されている興献王(9代成化帝の第3子、10代弘治帝の異母弟)です。 |
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| (獅子の坐像) | (馬の坐像) | |||||||||||||||
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帝位を継承した嘉靖帝は、彼の伯父にあたる10代弘治帝が皇室系譜上の父となるのを拒み、実父興献王を皇室系譜上の父として崇めようとしたため、これに反対した200名近くの臣下を処分しました。 歴史上「大礼の議」と呼ばれるこの事件で、嘉靖帝の父は皇帝とみなされ |
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| (文官像) | ||||||||||||||||
| (武官像) | ||||||||||||||||
湖北省鐘祥(ツョンシアン)の地にあった墓は皇帝陵として改築拡張、顕陵と呼ばれるようになりました。 このため、宝城(墓塚)は、もともとあった興献王の旧塚と新しく皇帝用として作られた新塚のふたつが連なって配置されており、このような設計は、もちろん他に例を見ないものです。 |
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陵墓は183ヘクタールもあって、単体の皇帝陵の面積としては明代最大で、陵墓の入口の下馬碑(往時の参拝者は、ここで駕籠や馬から降りて参道に入る)から、一番奥の宝城まで、まっすぐ伸びた墓地の広大さに圧倒されます。 |
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| (12対の石像が並ぶ参道) | (石像を過ぎると、遥か彼方に紅い明楼が見える) | |||||||||||||||
陵墓は下馬碑から大門、亭、望柱、石像、亨殿、池、明楼、宝城へと一直線に続き、「背山面水」という風水の原則に従って、小高い丘に囲まれた林間に、巧みに配置されています。 亨殿などの建物は損壊し廃墟と化していますが、皇帝でなかった人が、このように広大な空間を占有しえた、当時の強大な皇帝権力を示す貴重な遺跡だといえるでしょう。 |
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| (明楼前の供台) | ||||||||||||||||
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顕陵のある鐘祥市は、湖北省の中央を南北に流れる漢江のほとりにありますが、建設中の橋の傍にある渡し場から、車ごと平べったい鉄板のような舟で大河を渡るという、鐘祥市民の生活の一端に触れることができました(2006年夏)。 この地は、長江沿いの幹線道路から遠く離れた陸の孤島のようなところですが、明代の歴史や世界遺産に興味をお持ちの方は、立ち寄ってみられるのもいいでしょう。 |
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(漢江西岸から鐘祥市に向かう渡し舟) |
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