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(明顕陵・ユネスコ世界遺産碑 )
明孝陵(みんこうりょう)や明の十三陵よりひと足早く、2000年に世界文化遺産に登録された明の顕陵(けんりょう)とは、一体誰の陵墓なのでしょうか?
早世した11代正徳帝(しょうとくてい)に嫡子がなかったため、正徳帝にもっとも血縁の近い嘉靖帝(かせいてい)《正徳帝の従弟》が帝位を継ぎました。この嘉靖帝の実父が、顕陵に埋葬されている興献王(こうけんおう)《9代成化帝(せいかてい)の第3子》です。
歴史上「大礼の議」と呼ばれる事件で、嘉靖帝の父は、皇帝でもないのに皇帝とみなされ、湖北省鐘祥(しょうしょう)の地にあった彼の墓は、皇帝陵として改築拡張され、顕陵と呼ばれるようになりました。
陵墓は183ヘクタールもあって、単体の皇帝陵の面積としては明代最大で、陵墓の入口の下馬碑《往時の参拝者は、ここで駕籠や馬から降りて参道に入る》から、一番奥の宝城まで、まっすぐ伸びた墓地の広大さに圧倒されます。亨殿などの建物は損壊し廃墟と化していますが、皇帝でなかった人が、このように広大な空間を占有しえた、当時の強大な皇帝権力を示す貴重な史跡だといえるでしょう。
(12対の石像が並ぶ参道)

(石像路の先、遥か彼方に明楼がある)
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