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一度は訪ねてみたい街・ |
常熟(じょうじゅく) |
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阿倍仲麻呂が遣唐使船に乗って36年ぶりに帰国するとき、鑑真和上も揚州(ようしゅう)から長江(ちょうこう)を下って一行に合流し、河口に近い黄泗浦(こうしほ)から船出しました。 鑑真の乗った第2船は、無事九州に到着しましたが、阿倍仲麻呂の第1船は暴風雨に遭ってベトナムに流され、結局彼は、二度と再び日本に戻ることができなかったのです。 この歴史的な出逢いと別れの舞台となった黄泗浦は、行政区改定で現在の常熟市に隣接する張家港(ちょうかこう)市に属しています。 |
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| (東渡苑にある古黄泗浦の照壁) | ||||||||||||||
日本の鑑真研究第一人者といわれる安藤更生の著書に、「鑑真」があります。 このなかに、「鑑真和上逝世1200年の記念事業として、日中共同で遣蹟顕彰碑を建てたいと思い(中略)、この地を訪れることを切望したが実現せず、中国側の好意でこの付近の風光を写真に収めてくれたので、今はそれを眺めて往事を偲ぶより仕方がない」というくだりがありますが、黄泗浦に立ってこれを思うと、感慨もひとしおです。 |
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| (鑑真和上逝世1200年の記念碑) | ||||||||||||||
1996年には東渡苑(とうとえん)が完成、安藤更生氏が切望した石碑や、鑑真像、阿倍仲麻呂の歌碑などが一般に公開されています。ただし、黄泗浦に達していた長江の入り江は、土砂の堆積ですっかり陸続きになってしまい、1200年の時空の変化に驚かされます。 それでは、かつて常熟県と呼ばれた常熟市は、一体どんなところなのでしょうか? |
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| (常熟市街) | (方塔の塔上から裏庭を望む) |
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| 同じ江蘇省の鎮江(ちんこう)や徐州(じゅしゅう)などとともに、第2期歴史文化名城に選定された常熟市は、「十里青山半入城(十里の青い山が、市内に半分入り込む)」と評されているように、市の中心に山と湖がある独特の景観を持った街です。 | ||||||||||||||
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| (虞山山頂から尚湖を望む) | ||||||||||||||
| (興福寺) | ||||||||||||||
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山の名は虞山(ぐさん)といい、リフトで頂上まで登れます。南側に尚湖(しょうこ)が広がり、山上からの眺めは幽玄そのもの、日本の天橋立を彷彿とさせる絶景です。 リフトの登り口には、南北朝創建の興福寺があって、園内には市民が憩い、江南独特の庭園を散策するのもいいでしょう。また、虞山の東麓には、呉を建国した仲雍(ちゅうよう)や、孔門十哲のひとり言偃 |
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| (常熟市の旧市街) | ||||||||||||||
(げんえん)の墓、そして宋代創建の方塔(ほうとう)などが建ち、周辺には清代の風情を残した家並みと堀のある風景が連なって、古い歴史とロマンに駆りたてられる街です。 |
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