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一度は訪ねてみたい街・ |
淮安(わいあん) |
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淮安は、背水の陣、国士無双など数々の故事を残した秦末の英雄、韓信(かんしん)ゆかりの地、そして近代中国の名総理周恩来(しゅうおんらい)の生地でもあります。 |
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この町は、古来、南船北馬交接の地として重要な位置を占めるとともに、塩の大生産地に近いことから塩運で栄え、明清の時代には杭州(こうしゅう)、蘇州(そしゅう)、揚州(ようしゅう)と並んで、運河沿線の四大都市と呼ばれました。 マルコ・ポーロは、泉州(せんしゅう)から故郷ベニスに戻りましたが、帰路に立ち寄った当時の淮安府が、商品の集散地として、また、塩の産地として栄えていたことを紹介しています。 |
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(淮安楚州区) |
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淮安市は、第2期の国家歴史文化名城に選定されています。行政区の総人口5百万、市街区に250万ほどの人が住む大都市です。面積も広大で、北にある淮陰(わいいん)区と、老淮安と呼ばれる楚州(そしゅう)区は、車で小一時間も離れていますが、韓信ゆかりの古跡、周恩来の故里や記念館などは、全て古い街並みが多く残る楚州区にあります。 |
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(ファーストフード店「漂母粥」) |
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| (韓侯釣台) | |||||||||||
楚州区はずいぶん池の多いところで、区の西北にある尚湖(しょうこ)のほとりには、韓信を記念した韓侯釣台、そしてその傍らには、定職がなくぶらぶらしていた韓信が釣りをしていたときに、見るにみかねて食事の世話をしたという老婆(布をさらす仕事をしていたので、中国では漂母という)を祀った、漂母祠(ひょうぼし)があります 。 街では漂母粥という名前のついたファーストフードの店が営業しており、2200年も昔の史記に描かれた故事を、こんな形で今に伝える中国人の歴史に対するこだわりといったものに驚かされます。 |
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尚湖の南には勺湖(しゃくこ)があり、南北朝の時代に創建された七層八角の古めかしい文通塔が建っています。 この塔の近くには、革命運動と共産党に生涯を捧げた周恩来の故居があり、一般に公開されています。家は封建時代の旧家で、彼の生い立ちが偲ばれますが、中庭に植えられた岡崎喜平太氏(戦後再開された日中覚書貿易の日本側代表)と田中元首相寄贈の桜が印象的です。 |
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(周恩来故居の中庭に植えられた日本の桜) |
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| 骨を灰にして撒(ま)くようにとの遺言に従い、周恩来の墓は存在しませんが、韓侯釣台のある尚湖の東には、大きな池に囲まれた白亜の周恩来記念館が聳え立ち、その広大さに圧倒されます。 | |||||||||||
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| (周恩来記念館) | (股下橋) | ||||||||||
| 楚州区の南側は、かなりごちゃごちゃした旧市街が連なり、街のシンボル鎮淮楼(ちんわいろう)や韓信の股くぐりの故事にちなんだ股下橋(またしたばし)などを目にすることができます。また、淮安市の郊外には、韓信を記念した韓信故里のほかに、漂母の墓というちょっと変わった史跡が残されており、韓信ファンなら、足を伸ばしてみるのもいいでしょう。 | |||||||||||
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